B☆Rブログ

2023年02月

2023.02.27

何年たっても

2023.2.25.
2023年、仕事始めでした。
150,000,000人のファンの皆様、
改めまして、あけましておめでとう
ございます🌅

そして、なんと、2023年初ライブは、
平成最後、2019年以来、ご一緒させて頂く、ウシャコダ、King of Jiveの
藤井康一さんとのライブでした‼️

わー👏👏👏

2019年のライブの時は、藤井さんの
ソロやLittle Jive Boysの曲が多かった気がしますが、今回はどーしても
"ウシャコダ"時代の曲を我々の演奏で
歌って頂きたかったので、
"ウシャコダ"の曲が多め。

藤井さん、ご本人にも言われましたが、ウッドベースで"ウシャコダ"の曲を演るのは大変💦💦

佐々木さん、ごめんなさい🙇‍♂️🙏

もちろん、藤井さんご本人にも演目を
事前にご連絡しておりましたが、
当日、お会いしてから、選曲に驚かれたとの事でした。

「ホーン・セクション が居るのに、ホーンが入ってる曲、ヤラないの?」(笑)😃

“ウシャコダ"の実物を私が観たのは
一回だけ。

詳細はホームページをご参照頂きたいのですが、1979年デビュー。当時我々アマチュアが憧れたバンドコンテストでこれもプロデビューされておられる
"シャネルズ"を抑えての「最優秀グランプリ」を獲得。

当時高校生の私は、東の「East West」西の「8.8.Rock Day」というアマチュア・ロック・コンテストがある(あった)というのは知ってましたが……

高校1年の時、(2年?)にギリギリ
バンド・コンテスト開催に間に合った友人のバンドが
出演してましたなー😲😲

演奏中、興奮したヴォーカルの友人が
演出で噴き出したコーラを撒き散らすという暴挙に出たそうで、演奏後、悦に入ってたら、主催者が楽屋に怒鳴り込んできて、失格だったそうですが……

普通にやってたら、人生変わってたかもね……🙇‍♂️

その頃、聴いていたのは、パンク、ニューウェーブ系の当時最先端の音楽と60〜70年代の音楽の発掘。
中古レコード店の存在を知らなかったので、少ない小遣いでちょっとずつ
レコードを買ってた時期。完全に邦楽は馬鹿に(ごめんなさい)してた頃。
その上、黒人音楽の事を全く知らない、ブルースもオールマン止まりというか、オールマンは、サザン・ロックとして聴いていたので、まだまだでしたなー。

ウシャコダを知ったのは、大学生に
なったI崎君に教えて頂きました🙇‍♂️
聴かせてもらった音源はウシャコダの解散ツアーライブatバーボン・ハウスでした😢😢

それから何年か経って、Jump、Jiveという音楽を知り、その入り口が"吾妻光良とスウィンギン・バッパーズ"だったのですが、吾妻さんと共演もされており、あの‼️ウシャコダの⁉️藤井さんだという事がわかりました。

お会いした時は、"Little Jive Boys"のライブ終了時にお話しさせて頂きました。
「バンバ・ケンジ」我々もやらせて
頂いておりますと申し伝えましたところ、たいそう驚かれておられた記憶があります。

最初にご一緒したのは、「City West deちゃうか」で演奏してた頃です。

もちろん、BOOGIE☆RAMBLERSで。

今回、四年ぶりにご一緒致しましたが、リハ時に大変な問題が……😲😲

ある曲のコードが間違っておりました😢😢

そして、リハ後の会食時、メンバーの1人からの「いや、渡されたコード譜、他の曲もちょこちょこ間違ってるんですわー」の心ない発言。

「今、言うか⁉️」

これからはお気づきの時にこっそり教えて頂けますと大変助かります🙇‍♂️🙏

もー、ライブ無理……テンション、ダダ下がりマックスでした😢😢😢

救いはお店の「せんべろ・セット」で
3杯お酒が飲めた事でしょうか……🍻

プロの方のリハの進め具合など、色々勉強させて頂きました。次、やる時は忘れてると思いますが……

本番😅😅

お客様は、満席。ご来場頂き、本当にありがとうございました。藤井さん
ファンの方ももちろん多数お見えに
なっており、本当に安堵致しました。

まずは藤井さんのソロ。もちろん芸歴ウン10年の安定のステージ💖
お客様満席だと、もちろん盛り上がっております。

で、我々の演奏が少々。S.O.R.aさんは我々アマチュアにも優しく接してくださり、音響関係もバッチシやってくださるので本当にやりやすいですし、
大好きなライブ・スペースです。
コロナ禍を経ても(まだまだややこしいですが……)快く出演を快諾頂き、
本当に感謝です🙇‍♂️
いつも、本当にありがとうございます🙇‍♂️

そして、藤井さん再び登場。我々の拙い演奏にも本番では嫌な顔ひとつせず❓さすが‼️のパフォーマンス😆👍

盛り上がりましたなー🙌😃🙌

ご一緒に打ち上げが出来なかったのが唯一の心残りですが……😢

最近、とても嬉しいのは、コロナ禍を経て、私と音楽以外での繋がりを持っておられる方(仕事の元同僚、同級生など)が私のライブに駆けつけて
くださいます。元気な顔が見られて、こちらも本当に元気をもらっています😆👍

こちらはどこかのライブ会場で待ってます。我々のライブ情報、お目に留まりましたら是非是非お越しください。私もお会いしたいです🙇‍♂️🙏

藤井さん、今回も本当にありがとう
ございました。また、よろしくお願い申し上げます🙇‍♂️🙇‍♂️🙏

♪何年たっても、お前を、
忘れはしないぜ〜♪

(2023.2.27)







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2023.02.05

たまには……

我々が「ジャンプ・ブルース」というジャンルにこだわり出してもー、何年経つのでしょうか……🙇‍♂️🙇‍♂️

「ジャンプ・ブルース」というのが、ジャンルなのかどうかもよく
わかりませんが……🙇‍♂️

1930年代末から1940年代初期にかけて成立したジャンプ・ブルースは、
1940年代後半のリズム・アンド・ブルースのルーツの一つであり、そのはねる
リズムは、50年代半ばに誕生するロックンロールにも強い影響を与えた(Wikipedia)となっております。

こんなルイフーな音楽、当時はYouTubeもなく、生演奏をなかなか観られなくて当たり前。もっというと、
「ジャンプ・ブルース」が全盛期だった頃、日本国内では"敵性音楽"で
聴いてたら逮捕です。監禁です。拷問です😲😲

大作曲家の服部良一先生は戦中布団を
かぶって押し入れの中で敵性音楽を
聴いていたそうでして、戦後、
"東京ブギウギ"や一連のブギー物で、
戦中に聴いていた音楽の影響が、戦後のヒット曲で溜まっていたうっぷん?を
爆発させるのでした😆👍

私が「ジャンプ・ブルース」という
ジャンルの生演奏に生で触れたのは
言うまでもなく"吾妻光良&Swingin' Boppers"でした😲😲

興奮したなー💦💦

とにかく、ビッグ・バンドがブルースを演奏するのがカッコよかったです😃😃

東京主導で、ブルースを含めこういう
音楽を生で聴こうと思ったら、関東から大阪のライブ・ハウスにブルースを演奏するプロが来てくれるか海外ミュージシャンの来日を待つしかありません
でした。スウィンギン・バッパーズの
皆様は、プロではありませんでしたので私がこの手の音楽を聴き始めた頃、
当時はバリバリのサラリーマン。
仕事の余暇で東京以外の土地でライブをされるので、来日アーティストより
なかなか観る事が出来ませんでしたなー😢😢

YouTubeで色んな物が観る事が
出来るようになり「ジャンプ・ブルース」全盛の頃の生演奏(かどうかは、
わかりませんが……)を色々と観る様になる事が出来ました🙌😆🙌

そして、「ジャンプ・ブルース」を代表するミュージシャンの1人

ルイ・ジョーダン

初めて動く姿を観た時、1発て
ノック・アウトでした😲😲

2/4が命日なのでございます🙇‍♂️

昨日書かずにすみません🙇‍♂️🙏
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(2023.2.5.)