B☆Rブログ
2022.12.17
今年も当たり前にやってきた
師走ですな。
個人的には「もう、12月⁉️」
時が過ぎるのは早いねえ⁉️」と今年に限っては全然思えないのです……
なぜか……
それは、来年に来なくてもよい試練が来るからなのでした……
ああ……
どうなる⁉️俺。2023年です(涙)
命日特集その①
12月はまずロック好きなら誰でも
思いを馳せる8日のジョン・レノンの
命日。
42年前の当日、小学校の同級生から
お電話頂きましたなー。
「ジョン・レノン、撃たれたなっ‼️」と……
初めて、ロックを聴いたのは、
ビートルズの「ヘイ・ジュード」
ポールの曲ですが、この曲がキッカケで地獄の(笑)ロック人生が今日まで続いております。
1980年、少し一段落した
幼い息子に「パパはビートルズだったの?」という一言から音楽活動を再開する事に決めたとの事。
ポールの"カミング・アップ"という曲にも刺激を受けたようです。
幼いショーンくんはビートルズを
聴いてやっぱり感動してたのですなー?
「イエロー・サブマリン」の映像を
観ていた時の事だったそうです。
ニュー・アルバムもリリースして、
ワールド・ツアーもやり、日本にも
来る事になっていたとの事。
その辺の事は、当時高校生だった
ビートルズ・ファンの私は昨日の事のように覚えております。
全員存命なら、元々仲の良かった
4人の事。再結成もあったかも……
この日は、例年、ジョンのソロ作を
なるべくたくさん聴いて、故人を
個人的に偲ぶのでした……😢😢
「リボルバー」の最新リミックスも
素晴らしい。改めてビートルズの
凄さ、素晴らしさを認識するの
でした。
命日特集その②
音楽好き同士の飲み屋での会話
あるあるで、どんな音楽を聴いてきたか?とか、1番好きなギタリストは?
とかでカウンターで横並びになった
初対面の方と盛り上がったりするのですが………
私の1番好きなシンガーはというと、
なんてったって
オーティス・レディング
なのです。
12月10日に飛行機事故で亡くなって
おり、"ロックン・ロール・バビロン"という本にオーティスの死体が湖から引き上げられている衝撃の写真が
掲載されております。
私が黒人音楽に興味を持ち出した、
というか、本格的に音楽ソフトを購入しだした1980〜1990年ぐらい、
ちょうど音楽ソフトの変革期で、
レコードからCDへの移行期でした。
ビデオテープからDVDディスクというのはもう少し後の話だったかなーと。あ、その頃はレーザー・ディスクでしたねー。
友達に「中古レコード店」というのがあると教えてもらったのもその頃。
行ってみると宝の山でしたなー。
「中古レコード市」という百貨店の催事も百貨店の開店前に並んだりしてましたなー。
あ、すません。ちょっと話題が
逸れました。
大学生の頃、下宿生の友人の部屋で
見た、初めて観る動くオーティス。
超有名、必聴、必見の1967年6月、
カリフォルニア州、モンタレーで
行われた、
"モンタレー・インターナショナル・
ポップ・フェスティバル"の映像です。
出演者の順番決めで(その場で
決めてたってところも面白い)The Whoがジミ・ヘンドリックスの後に
出るのを嫌がったとか、ジャニス・
ジョプリンの熱演を口をアングリと
開けて観ている、ママキャスのアップの顔とか、ギターを遂に燃やしてしまった、ジミヘンドリックスとか色々な伝説を生んだ今のフェスに繋がるフェスの元祖です。
まだ観ていない方は是非。
オーティスのパフォーマンスももちろん圧巻で、忌野清志郎さんのステージでの決め台詞、「愛し合ってるかい」の元ネタ、「We All Love Each Other,Right?」もこのステージで
言ってます。フェスの出演者は
フェスをきっかけに全世界的に有名になったのですが、何年か後には
オーティスもジャニスもママキャスもジミヘンも亡くなってしまいました。
命日特集その③
オーティスの命日の翌日、12月11日に亡くなったのが、オーティスも多大な影響を受けた、サム・クックです。
サム・クックという名前を知った時は前述の通り、レコードからCDの移行期で本当に音源がなく、オーティスよりも古い人なので、映像なんかあるわけがなく、やっとCDでベスト盤が発売
されたりしましたが……
そんな中、衝撃のライブ・アルバムが1985年に発売されたのでした。当時はレコードでの発売。
「Live at The Harlem Square Club,1963」
それまで、サム・クックのライブ盤というと「Live at The Copa」という
白人聴衆の前での歌い上げる感じの
ライブ盤。もちろんサム・クックの歌の上手が十二分に堪能出来る内容
です。
だがしかーし……
ハーレム・スクエア・クラブの
ライブは聴衆が黒人。
元々サム・クックはゴスペル・シンガーなので、聴衆を煽るというか、洗脳するというか…
歌も上手いし、もー観客は
煽られまくってます。
このアルバムを買って、1ヶ月ぐらいは毎日聴いてましたなー。
学生時代にやってたバンドが、先輩とツイン・ヴォーカルのバンドやったのですが、歌いたかった、サム・クックの"Nothing can Change This Love"
を先輩に取られた時は、一晩中枕を
濡らしました(涙)
ボブ・ディランが1963年に"Blowin' in The Wind"を発表した時、
サム・クックは「白人の坊やがこんな曲を歌えるのか……」と衝撃を受け、
発表したのが「The Change is Gonna Come」を1964年に発表します。
この曲は1964年12月22日にリリースされましたが、12月11日にサムは
モーテルで射殺されて亡くなって
しまいました。
それから、45年後、オバマ大統領と
いうアメリカで黒人初の大統領が誕生した際、この曲が歌われました。
今年、"アメリカ合衆国対ビリー・
ホリデイ"という映画が公開されましたが、人種差別を題材にした歌を歌う、ビリー・ホリデイからアメリカ国民(もちろん黒人)への影響力を懸念
したアメリカ政府がビリーを薬漬けにしたとか、サム・クックの死因も、
サム・クックの歌手としての影響力を懸念した、アメリカ政府がサムを
暗殺した説。
ビートルズ解散後、アメリカで平和
活動を展開していたジョンを国外追放にしたり、FBIにジョンを付け狙いさせたアメリカ政府。
こんな器の小さい、アメリカ政府は、有事の際、日本を守ってくれるのでしょうか……
とかなんとか言うてたら、大変な長文になってしまいました。週明けは
そろそろクリスマスです。
超極私的クリスマス・ウィーク。
来週はクリスマス・ソング、
聴きまくりです。上記の3人も
クリスマス・ソングを歌っています。個人的には、色々何かと問題山積み
ですが、クリスマスとお正月は自分の1番好きな年中行事。
弾けたいですなー‼️
クリスマスと正月はどんだけ弾けても、誰も文句言わへんぞーと教えて
くれたのも幼馴染でした。
だがしかし、2022ねんのクリスマス・イヴは仕事、クリスマス当日はバンドの練習なのでした(涙)(涙)(涙)
個人的には「もう、12月⁉️」
時が過ぎるのは早いねえ⁉️」と今年に限っては全然思えないのです……
なぜか……
それは、来年に来なくてもよい試練が来るからなのでした……
ああ……
どうなる⁉️俺。2023年です(涙)
命日特集その①
12月はまずロック好きなら誰でも
思いを馳せる8日のジョン・レノンの
命日。
42年前の当日、小学校の同級生から
お電話頂きましたなー。
「ジョン・レノン、撃たれたなっ‼️」と……
初めて、ロックを聴いたのは、
ビートルズの「ヘイ・ジュード」
ポールの曲ですが、この曲がキッカケで地獄の(笑)ロック人生が今日まで続いております。
1980年、少し一段落した
幼い息子に「パパはビートルズだったの?」という一言から音楽活動を再開する事に決めたとの事。
ポールの"カミング・アップ"という曲にも刺激を受けたようです。
幼いショーンくんはビートルズを
聴いてやっぱり感動してたのですなー?
「イエロー・サブマリン」の映像を
観ていた時の事だったそうです。
ニュー・アルバムもリリースして、
ワールド・ツアーもやり、日本にも
来る事になっていたとの事。
その辺の事は、当時高校生だった
ビートルズ・ファンの私は昨日の事のように覚えております。
全員存命なら、元々仲の良かった
4人の事。再結成もあったかも……
この日は、例年、ジョンのソロ作を
なるべくたくさん聴いて、故人を
個人的に偲ぶのでした……😢😢
「リボルバー」の最新リミックスも
素晴らしい。改めてビートルズの
凄さ、素晴らしさを認識するの
でした。
命日特集その②
音楽好き同士の飲み屋での会話
あるあるで、どんな音楽を聴いてきたか?とか、1番好きなギタリストは?
とかでカウンターで横並びになった
初対面の方と盛り上がったりするのですが………
私の1番好きなシンガーはというと、
なんてったって
オーティス・レディング
なのです。
12月10日に飛行機事故で亡くなって
おり、"ロックン・ロール・バビロン"という本にオーティスの死体が湖から引き上げられている衝撃の写真が
掲載されております。
私が黒人音楽に興味を持ち出した、
というか、本格的に音楽ソフトを購入しだした1980〜1990年ぐらい、
ちょうど音楽ソフトの変革期で、
レコードからCDへの移行期でした。
ビデオテープからDVDディスクというのはもう少し後の話だったかなーと。あ、その頃はレーザー・ディスクでしたねー。
友達に「中古レコード店」というのがあると教えてもらったのもその頃。
行ってみると宝の山でしたなー。
「中古レコード市」という百貨店の催事も百貨店の開店前に並んだりしてましたなー。
あ、すません。ちょっと話題が
逸れました。
大学生の頃、下宿生の友人の部屋で
見た、初めて観る動くオーティス。
超有名、必聴、必見の1967年6月、
カリフォルニア州、モンタレーで
行われた、
"モンタレー・インターナショナル・
ポップ・フェスティバル"の映像です。
出演者の順番決めで(その場で
決めてたってところも面白い)The Whoがジミ・ヘンドリックスの後に
出るのを嫌がったとか、ジャニス・
ジョプリンの熱演を口をアングリと
開けて観ている、ママキャスのアップの顔とか、ギターを遂に燃やしてしまった、ジミヘンドリックスとか色々な伝説を生んだ今のフェスに繋がるフェスの元祖です。
まだ観ていない方は是非。
オーティスのパフォーマンスももちろん圧巻で、忌野清志郎さんのステージでの決め台詞、「愛し合ってるかい」の元ネタ、「We All Love Each Other,Right?」もこのステージで
言ってます。フェスの出演者は
フェスをきっかけに全世界的に有名になったのですが、何年か後には
オーティスもジャニスもママキャスもジミヘンも亡くなってしまいました。
命日特集その③
オーティスの命日の翌日、12月11日に亡くなったのが、オーティスも多大な影響を受けた、サム・クックです。
サム・クックという名前を知った時は前述の通り、レコードからCDの移行期で本当に音源がなく、オーティスよりも古い人なので、映像なんかあるわけがなく、やっとCDでベスト盤が発売
されたりしましたが……
そんな中、衝撃のライブ・アルバムが1985年に発売されたのでした。当時はレコードでの発売。
「Live at The Harlem Square Club,1963」
それまで、サム・クックのライブ盤というと「Live at The Copa」という
白人聴衆の前での歌い上げる感じの
ライブ盤。もちろんサム・クックの歌の上手が十二分に堪能出来る内容
です。
だがしかーし……
ハーレム・スクエア・クラブの
ライブは聴衆が黒人。
元々サム・クックはゴスペル・シンガーなので、聴衆を煽るというか、洗脳するというか…
歌も上手いし、もー観客は
煽られまくってます。
このアルバムを買って、1ヶ月ぐらいは毎日聴いてましたなー。
学生時代にやってたバンドが、先輩とツイン・ヴォーカルのバンドやったのですが、歌いたかった、サム・クックの"Nothing can Change This Love"
を先輩に取られた時は、一晩中枕を
濡らしました(涙)
ボブ・ディランが1963年に"Blowin' in The Wind"を発表した時、
サム・クックは「白人の坊やがこんな曲を歌えるのか……」と衝撃を受け、
発表したのが「The Change is Gonna Come」を1964年に発表します。
この曲は1964年12月22日にリリースされましたが、12月11日にサムは
モーテルで射殺されて亡くなって
しまいました。
それから、45年後、オバマ大統領と
いうアメリカで黒人初の大統領が誕生した際、この曲が歌われました。
今年、"アメリカ合衆国対ビリー・
ホリデイ"という映画が公開されましたが、人種差別を題材にした歌を歌う、ビリー・ホリデイからアメリカ国民(もちろん黒人)への影響力を懸念
したアメリカ政府がビリーを薬漬けにしたとか、サム・クックの死因も、
サム・クックの歌手としての影響力を懸念した、アメリカ政府がサムを
暗殺した説。
ビートルズ解散後、アメリカで平和
活動を展開していたジョンを国外追放にしたり、FBIにジョンを付け狙いさせたアメリカ政府。
こんな器の小さい、アメリカ政府は、有事の際、日本を守ってくれるのでしょうか……
とかなんとか言うてたら、大変な長文になってしまいました。週明けは
そろそろクリスマスです。
超極私的クリスマス・ウィーク。
来週はクリスマス・ソング、
聴きまくりです。上記の3人も
クリスマス・ソングを歌っています。個人的には、色々何かと問題山積み
ですが、クリスマスとお正月は自分の1番好きな年中行事。
弾けたいですなー‼️
クリスマスと正月はどんだけ弾けても、誰も文句言わへんぞーと教えて
くれたのも幼馴染でした。
だがしかし、2022ねんのクリスマス・イヴは仕事、クリスマス当日はバンドの練習なのでした(涙)(涙)(涙)
✌️Hideyuki Yamato✌️